Pカンパニー公演「5月35日」鳴門例会(2025年7月17日)で“阿大(アダイ)”役をされる林次樹さんを開演前の楽屋に訪ね鳴門市民劇場がインタビューしました。
鳴門市民劇場(以下鳴門と略) この作品を取り上げた理由と、今やる意義について教えて下さい。
林次樹(敬称略 以下林と略)
この作品は香港の劇作家の莊梅岩さんが書き、2019年に初演されました。 香港の2019年という年は、大規模な民主化の市民デモがありました。香港は1997年にイギリスから中国に返還されたわけですが、その後50年間は、一国二制度で進むということでした。しかし、中国がどんどん圧力をかけてきて、 2019年には、このままでは香港が香港でなくなるぞというような危機感が非常に強くなったのだと思います。
それを憂いた演劇人たちが、演劇としてそのことを訴えたいと題材に選んだのが、ちょうど30年前の「天安門事件」でした。香港の人たちが、中国によって民主化が踏み潰されてしまったこの事件を題材にして、今の時代を訴えたいという想いで書かれた戯曲です。翻訳に名前を連ねている石原燃さんは劇作家なのですが、石原さんの作品はPカンパニーでも何本か上演しています。
今年の3月にも台湾を舞台にした「フォルモサ!」というのをやりました。石原さんは、台湾や香港の演劇人とつながりがあり、香港の演劇人から『5月35日』を日本で上演できないかと打診され、石原さんがPカンパニーでやってはどうか、という話に進みました。
それで戯曲を読ませていただき、 即断したというか、これは是非やるべきだと判断しました。僕は代表なので演目は基本的に決めているのですが、その時に演劇としてどこまで面白
くできるかまではあまり才能がないのでわかんないんですが、この作品はやるべきじゃないかという直感があって、2022年に日本での初演という型になりました。
2020年に「香港国家安全維持法」という、つまり民主化の勢力を全て排除していくという法律が施行されました。もう今では、議員に1人も民主化を推進する人がいなくなっていて、僕らから見れば香港は本当にひどい状態です。
2022年の初演が作品として評判が良く、 評価を得たので、再演を希望する声も多かったのですが、Pカンパニーは非常に小さい劇団で、なかなか東京での自分たちの公演だけでの再演というのは経済的なことも含めて難しいところなのですがを 、四国、首都圏と神奈川の演劇鑑賞会が声を上げてくださって、 なんとか 自分たちの東京公演も含めて、この3年後にもう1回やることができました。
初演というのは力みもあって、その思想とか、考え方とかがどうしても強くなってしまうんですが、 今回、神奈川から四国に来て、コミカルなところというか、馬鹿馬鹿しい会話のところは笑っていただいたりして、演劇として楽しんでいただききながら、それでも重いテーマが伝わっていく作品になった気がするんですね。それは、一か月間、演出家の松本さんやと竹下さんたちと一緒に丁寧に稽古をした成果だったのではないかと。初演が悪かったということではないけれども、初演よりそういう部分で演劇として少し成長できたのではないかなと、四国に来てそんな想いが徐々に強くなっています。 そんなことを感じながらやれる舞台になっているかなと思っています。
鳴門 竹下景子さんと共演されての印象や旅公演中のエピソードなどがあれば教えて下さい。
林
3年前の日本の初演でも竹下さんがやってくださいました。竹下さん自身がとにかく僕らにしてみれば、なんて言うんですかね、大有名人なので (笑)、 昨日も交流会が松山であったんですが、「クイズダービー」見てましたとか、なんとかの朗読や、とにかくテレビやお茶の間の人気者で、この頃はあんまり出ないから舞台に出てるという人ではなくて、今もずっと現役でテレビとか映画とかで活躍してらっしゃる。昨年の暮れの話ですが、ラジオドラマでご一緒されていた西田敏行さんがお亡くなりになったものですから、その追悼を紅白歌合戦の中でされてました。その時に竹下さんが素敵なお着物を着て出てらして、「紅白歌合戦出てたよね。すげえ人とやってるよね」とか、演出家の松本さんと2人で話してました。
本来 この役は、80歳ぐらいの役なんです。何しろ息子が30年前に17歳で死んでるわけで、もう50歳に近い子供がいるっていう設定なので、70代後半から80ぐらいなんだけど、本当の80歳になるとかなりハードな作品なので、俳優としてそれは難しいかもしれないということもあって。僕から言ったのかな、「竹下さんどうですか?」「まぁダメ元で聞いてみますか?」みたいな。数年前にある公演でご一緒したことがあり、マネージャーさんも存知上げていたので、とにかく聞いてみたら、竹下さんが出てくださると。後で聞くとやっぱりこういう香港の作家の作品をやれるなんてめったにあることじゃないし、非常に大切なテーマを扱っているからやりたいと思ったんだと。とにかくその時は二つ返事でやりますと言ってくださり初演が実現して、今回の再演もやることになりました。
旅中はもう本当に大変なので。 “ノリウチ”っていうのは、移動して公演やって片付けてっていう感じでやってくのですが、もちろん出演者は仕込みやバラシには入らないんですけど、本当に体力維持も大変です。
高知への移動日に、竹下さん主催でメンバー全員で夕飯を食べようっていう話になり、1回だけ食事会をしたっていうのがありました。
昔、僕が四国の例会に来た20年ぐらい前は本当に温泉三昧してましたからね。移動日や空き日に温泉行きのとスケジュールを組む「温泉部長」と言われてました(笑)。いろんなところでね。残念ですが今はスケジュール的にタイトになってしまったので、あまりそういうエピソードはないですね。本当に移動中もバスの中で寝てるとかね、そういうふうにならざるを得ないので。そんな感じで 一緒にやらせていただいています。
鳴門 鳴門に来られるのは2003年7月例会の「はだしのゲン」以来かと思いますが、その時の印象や今回楽しみにしていることがあれば教えて下さい。
林
その時は大鳴門橋の「ガラス張り」になっているところ「渦の道」へ行きました。下を見て、グルグル回っているのを見た覚えがあります。その時は裏方もやっているので、朝仕込んで転換やって、バラしてっていう立場で、出演しながら舞台監督やってるみたいな感じでした。もしかしたら、その時に時間を見つけて、行ったのかもしれませんね。
四国では高知が(公演の)日にちがいっぱいあって、三日間ぐらいした後、一か月後ぐらいにもう一度帰ってやるみたいな、例回数が多い豊かな時代でした。
今は、とにかく スケジュールをこなしていくみたいになっているから、会員を増やしていただき、何日もいられるようになると嬉しいです。そのために、僕らも頑張らなきゃいけないなと思います。
鳴門 この世界に入られたきっかけを教えて下さい。
林
劇作家の別役実さん(不条理劇作家の日本の第一人者)の作品がやりたくてこの世界に入りました。僕は学生の頃に芝居を見ていて、初めはいい観客でいたんですが、よせばいいのにやってみたいなと思ったんですね。彼別役さんの作品を沢山やっているのが木山事務所で、あと文学座も沢山やっているというような時代だったのです。それで文学座と木山事務所を受けて、文学座は養成所に800人ぐらい受験するような時代だったので、とてもじゃないけど受からなかったです。木山事務所はPカンパニーよりちょっと大きいぐらいの小さいチームだったので、受けた人はほとんど受かった(笑)みたいで、そこに入りました。
文学座に万が一行ってたとしたら、別役さんの作品に1本か2本出られればいい方でしょうけど、木山事務所に入ってからは、新作にも8本、9本に出ていますし、Pカンパニーになっても何本もやって、作品数だけでも、30本以上やることができたので、本当に夢が叶いました。そこからいろいろとやっていく中で、やっぱり演劇は社会との関わりが大事だなと思いました。木山事務所が「はだしのゲン」を創っている姿を見て、自分のPカンパニーになってからは別役さんの作品もやりながら、「5月35日」のような社会問題を提起する作品をもやっています。
演劇として面白くなきゃいけないのはもちろんなんですが、さきほど出た『フォルモサ!』のような台湾が日本に植民地にされていた時代の本であるとか、重度障害者施設で19人を殺してしまった神奈川県相模原市のとか、NHKが番組に慰安婦問題を取り上げて、政治家たちが内容を変えろと圧力をかけた事件とか、様々な社会的事件を舞台化していて、それらを「シリーズ罪と罰」と名付けています。
劇団の代表としてやりたい芝居は沢山ある。それは別役さんだし、それとは別に演劇人としてやらなければならない作品が必ずあると思います。その代表作が「はだしのゲン」であったかもしれませんし、僕はそれを受け継いでいます。僕の中では「シリーズ罪と罰」の作品群と別役さんの作品群をPカンパニーの2本柱にして、小さいチームなんで年間多くの公演はできないですが、せめて1本ずつはやっているというのが現状です。
鳴門仕事以外で好きなこと興味があることを教えて下さい。
竹下景子さんを持ち上げるシーンに驚きましたが、鍛えられているのですか。
林いや、これ抱っこしないとこの芝居は終わらないですよ。最終的には、死を間近にした彼女を抱きかかえて車いすに乗せるっていうのは、シーンとしても絶対に重要です。 だから、かっこつけるわけじゃありませんが、初演以降今日までほぼ毎日筋肉トレーニングをしています。もうすぐ60になりますので激しいのはできませんけれども、日々のスクワットはなんとか続けています。
仕事以外では野球が好きで高校までは野球部にいました。下手くそなんですけど、演劇を始めてからも劇団木山事務所で野球部を作ったりしていました。今は、よその劇団のチームに助っ人として、足りない時に呼んでもらって、年に2~3回は草野球をやらせてもらっています。
僕はファーストをやらされるんですけど、なんで僕がファーストかというと、球が取れるからです。 球が取れる人がファーストにいないとアウトにならないんですよね。アウトが増えないと、 ずっと守っていなきゃいけないんで、そういう理由でやっています。
見る方も好きなので、年に1回か2回はプロ野球を見に行ったり、高校野球はテレビで見ています。今はね、やっぱり大谷が気になってしょうがない。野球はずっと好きです。
鳴門 演劇鑑賞会の活動について考えられていることがあればお聞かせください。また、鳴門市民劇場の会員に一言メッセージをお願いします。
林
こうやって、演劇鑑賞会でやっていただけることはありがたい。日本で多くの人たちにこの芝居を観てもらえる機会をが増えたことを香港の人たちに胸を張って伝えることができ、そういう意味では本当にありがたいことです。
演劇鑑賞会の鑑賞運動っていうのは本当に素晴らしいですよね。なんとかね、その数を増やして、 もちろん全盛期の頃のようにはなかなかいかないと思うんですけれども、もうちょっと落ち着いてきて、これから本当に演劇を大事にしていこう、演劇でいろんなことを伝えていこうっていう、しっかりした形で進んでいくんじゃないかなと思います。
やっぱり大きな劇団という存在があって俳優座や民藝が来ましたっていうように、長い歴史を持った劇団が創る素晴らしい作品もありますが、Pカンパニーは本当に小さなチームで、無名でPカンパニーって何って思われていると思うので、他の劇団以上にいい作品を創らないと鑑賞会を回れないんです。劇団の名前では呼んでもらえないので、演劇鑑賞会で絶対にいい作品と思ってもらえる作品を創るので、是非呼んでもらえませんかっていうアプローチをしていく以外にないのです。だから、なかなかそう簡単には次の作品がどれをっていうふうには浮かばないですけども、なんとかまた、皆さんに観ていただけるいい作品、演劇としても素晴らしいし、感動を与えられるようなものを創って、四国に来られたらいいなと思っています。その時まで僕も演劇を頑張るので、皆さんには頑張って続けていただきたいと思っています。本当に一緒に創っていくっていう会なので、そういう想いでいます。