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井上幸子さんに開演直前インタビュー

楽屋訪問70

  人形劇団プーク鳴門例会「うかうか三十、ちょろちょろ四十」で演出、「現代版・イソップ『約束…』」で脚色と演出をされる井上幸子さんを開演前の楽屋に訪ね鳴門市民劇場がインタビューしました。

井上幸子(敬称略 以下井上と略)
人形を持って現れる。
鳴門市民劇場(以下鳴門と略)
結構大きいですね。これは何ですか? 井上幸子
井上
最初の現代版イソップの約束の狐ですね。結構大きいでしょ。これだけ大きいですから、木ではなく発泡スチロールで頭を彫って、今回はちょっと和風なので、その上に和紙を貼って、直接美術家がメイクをしています。衣裳もちょっと和風なんですね(笑)。これは、前回観て頂いた「怪談牡丹灯篭」 と一緒で、基本的には頭から棒があり(胴串:どくしと言う)、それを左手に持って使っています。プークの場合、原則一人で使うので、どうしても脚が必要は場合は、もう一人つきます。これは今日の2つの演目の前半で使うもので、しっかりした胴串の硬いものなのでピッピッと動くんですが、もう一つの「うかうか三十、ちょろちょろ四十」の人形はもう少し胴串が柔らかいもので出来ていて、役者は使いづらいと思うんですけど、がっかりしたり、ちょっとひねったりとか出来るようになっており、使い方の違いがあります。
鳴門
「約束」も「うかうか三十・・・・」も非常に面白い作品で、ほんわか暖かくなるような良い作品と思いますが、どういう風に観て欲しいと思っているのかお聞きしたいのですが。
井上
私は、お芝居というものは観て下さる方の心の遊びだと思っているんです。まず楽しんで欲しいということです。それは悲しいとかドキドキすることも含めてです。今回の両作品とも喜劇といえば喜劇だし、悲喜劇といえば悲喜劇だし、その中で、皆さんも生きている時は楽しい事ばかりでなくて辛い事もあったり、でも辛い事ばかりでなくて笑う事もあったり、そういうものを皆さんが鏡みたいに観て頂ければと思います。基本的には楽しんでもらおうと思っているので一杯笑って頂いて結構なんです。
鳴門
楽しそうなお芝居ですね。特に「うかうか三十、・・・」は。
井上
これは、井上ひさしさんが24歳の時に書かれたものです。いわゆる処女作です。かなり前に文部省の賞を頂いているもので、初めて活字になったそうです。「悲劇喜劇」という演劇雑誌に載ったので、ちょっと記念すべき作品ではあるんですよ。
もう一つの演目は、田辺聖子さんの「私本・イソップ物語」がもとで、動物がいろいろ出てきて、小さなお話が次々繋がっていく、オムニバス形式の小説です。それを私が30代のころに、劇団の仲間と一緒に、プークの本公演でなくてアトリエとかプークの劇場を使って自主的に大人の芝居を作りたいねということで、何をやろうかなと思った時に、田辺聖子さんはユーモアと風刺性がある方だと思っていたので、狼と狐といくつかの動物だけに焦点を当てて、人形劇化したものです。だから井上ひさしさんのしっかりした戯曲とは違って、若気のいたりで、恐いもの知らずで書いたという本でもあります。
鳴門
人形劇といっても、この場合は大人向けかなあと思うのですが、もっとも苦労したところは何だったんでしょうか。
井上
やはりイソップの物語は動物の作品でしょう。もちろん、動物が出たから人形劇になるってものじゃないですけど、人形でやったら面白いだろうなあという捉まえ方が初めから出来ていました。
一方「うかうか…」の方は、これをやってみないかとプロデューサーから渡された時に、井上ひさしさんはとても尊敬する作家だったですが、第一印象は「これは人間の芝居だ」でした。
マリオネットの音楽の一曲とは、イトージが重なりひたすらその音楽を毎日聞いているだけでした。ただ、どの演出の時もそうなんですけど、ある意味アイディアとか芝居を掴み切れない時というのは、アイディアが思い浮かばなくても、毎日毎日、たとえば通勤時間の間だけは必ず考える。ひたすらやめないで考え続ける、するとどこかで小さな電球がピッと付く瞬間があるんですね。人形劇の場合はものを動かして、いろんなことを表現しなくてはならない。そうすると今回の「うかうか…」では命というのは、どういう風に表したらいいんだろうかという事で悩みました。 
ある時に、風車のことが思い浮かんで、いい風が吹いている時はやさしく回るし、強い風が吹くとわあーとなってしまうし、風がないとピタッと止まってしまう。それは結構命と同じかなあと思ったんです。それぞれの人形が演じるんですけど、その中でちょっと象徴的に風車だけで見せて・・・、そういうことを思い付いたら楽になって、その後は次々とこういうことをしたらいいんだというふうに生まれてきました。
「うかうか・・・」に限らず、具体的に人形劇として舞台に立ち上げるまでは結構いつもいろいろ考えをめぐらせています。美術家と相談したりすることも勿論ありますけどね。
出発は戯曲をどうやって具体的に舞台に立ち上げるかが、一番演出の大切な仕事なので、そこがいつも時間がかかります。割とこれでいけるかなあという時もあるし、いろいろです。今回の「うかうか・・・」は非常に時間がかかってしまって(笑)。今やってみて、勿論人間のお芝居にも適している本ですけど、人形でやって面白いだろうと、やっと自分の中でも掴めましたね。
今回は殿様の脚が悪いんだけど、それ以外は出てくるのはお百姓さんでしょ、脚というのが結構キーポイントになってきて、それをどう見せるのか。人間の劇の場合は脚を太くしたり細くしたりというのはなかなか困難ですけど、人形の場合それはたやすくできるんですね。今日観て頂ければ分かると思うんですけど、出てくるのがかなり可愛い娘なのですが脚が太くて左右の脚の太さが違ったり、殿様も左脚が悪いという表現をするにあたって、脚とか手とかを強調してるんです。それは美術とか演技のデフォルメということなんですけど、人形劇だからこそ出来るんです。井上ひさしさんが書かれた民話劇、でも単なる民話劇ではないもの、それが人形劇をやることで出たかなあと思う。
鳴門
ただ悪いとか面白いとか笑いというのでなくて、それを私たちはうまく捉えられるかなあと思うのですが・・・。
井上
それはちょっと意識しています。人形は表情が変わるわけではない。勿論、役者がうなずきあって、人形の目線を下げたり、首をひねったりを使いながら表情を作っていくんですけど、多分皆さんが想像も含めて観て下さることで成り立っているんだと思うですね。今回、セットもすごくシンプルですしね。皆さんの方が想像して下さる余地があって、それが面白いんじゃないかと思っています。
鳴門
観終わったあとは、ものすごく楽しくなりそうですね。
井上
そう言って頂けるとうれしいですね。難しかったのは、最後に殿様がいろんな思いを抱きながらも、悲しく終わらせたくなかったので、殿様は殿様の世界で閉じこもってしまったり、悪いいたずらをやっているわけですけど、最後に自分がいつもいつも甘えていたお侍医が、余命も長くなく去っていくだろうなあってことを感じ取った時に、「自分は自分の脚で苦しくとも生きていく」って決意する、というのが最後のつもりなので。悲しかったねえってという芝居では終わりたくなかったです。私たちも後悔したりしながら、でももうちょっと元気で生きていこうと思うわけですから。多分、どなたでもどっかのシーンで登場人物の中に自分を見たり、寄り添える部分があったりする、それが「うかうか・・・」にはあるのかなあと思います。
鳴門
ちょっと工夫したところとか、人形劇ならではの面白さとかはありますか。
井上
人形でやる意味、人形劇の魅力を是非皆さんに観て感じて欲しいなあと思います。
むしろ簡単に飛躍できること、例えばうんと悲しいとかうんと嬉しい時に、文章では空をも飛ぶ思いとか書けますよね、これを人形ならやろうと思えば出来るんですね。思い切ってパンと飛んでしまったりとか、うちひがれる時はがっかりするように、ばたんとやってしまって構わないし、表現の幅が多くある。でもいろんなことが出来るから、ばたばた倒れればいいというものでもない。
最初に観客に人形って不自由じゃないんだっていうのをきちんと見せておきながら、飛躍するところは、それこそ飛んでしまおうがばたんと倒れようが構わない。より心の中身を見せるのは、人形の得意なところだと思ってます。もしドキドキしていったら、役者なら自分の胸を押さえて台詞を言わなきゃいけないけど、人形なら思い切って心臓を持ってぱんと飛び出して、ぴょこぴょこと動いて、また戻すとか出来るんんですね。そういう面白さはあると思いますね。
鳴門
井上さんご本人のことを聞きたいんですが。実は演出家の人をインタビューするのは初めてなんです。 人形劇にかかわったのは、どういうきっかけからなんですか。
井上
プークに入ってから、結構長い間人形を使っていました。
鳴門
人形をやっていた、使っていたんですか。
井上
一番最初は、まだ若い時なんですけど、プークが役者と美術と制作を募集してたことがあって、私は制作というのは企画制作と思い込んでいたの。私は本が書きたかったんです。初めは子どものための戯曲を。すぐには書かせてもらえないと分かっていたので、そこに所属して勉強させてもらいながら、ゆくゆくは本が書けたらいいなあという思いで入りました。でも制作部には一年いただけで、私は役者をやるつもりは一切なかったのです。でも、亡くなった代表の川尻が、ある時「若いうちは何でも経験しなさい」と言って、舞台に立たされて、それでずーっと十数年間やりました。
鳴門
演出にかかわったきっかけは何だったんですか。
井上
それは、24歳の時に書いた本がプークの劇場で初めて舞台化されたことがあって、その嬉しさが忘れられなかったからです。「しちめんちょうおばさんのこどもたち」というので、神戸の王子動物園で七面鳥が、鴨が卵をかえしたのを自分の子どもだと思って世話をするというユーモラスな絵本がありまして、その絵本を甥っ子が大好きだったんです。何でそんなに魅力的かなあと思って、その絵本を読んだ時、人形劇にしたら面白いだろうなあと思ったんです。そこでそれを脚色させてもらって、プークが取り上げました。それ以来、やっぱり自分は元々本が書きたかったんだなあと思ったのね。演出家の手によって舞台に立ち上がって、子どもたちが観てくれているという経験を一回したものですから、本を書きたいなあってずっと役者やりながら思い続けていたんですね。
子供が出来て、東京に居なくてはならなくなって、何をしたらいいのかを考えはじめた時、プークの人形劇アカデミーという二年制の学校がありますが、そこのお世話係りをやったり、卒業公演で演出をやったりとかしていてその後ぐらいから、プークで本を書いたり演出をしたりを本格的にやりはじめたの。今思うと人形を使っている方がいいですよ(笑)。
鳴門
今は劇団の代表をなさっているんですか。
井上
いえいえ。劇団の副主事です。一応責任者のひとりですが。劇団を運営していったり、経済的にもやっていかなくちゃならないので・・・。
鳴門
舞台を離れて、日常生活で趣味とかありますか。
井上
趣味ねえ。そうですね、趣味っていいのかどうかわかりませんが、やっぱり本を読むことが好きです。でもバタバタ忙しいので、住んでいる所から新宿のプーク人形劇場に通っていて、小一時間かかるので、行き帰りに読んでいるぐらいです。
鳴門
人形劇に出来るものがないかと、鵜の目鷹の目で捜しているんじゃ?
井上
自分で次の企画を立てたり、本を書いて出していかなきゃならない時期になると、そういう意識で読むことがなくはないです。私は動物の自然の中で生きているのを見るのが好きで、本物でも映像でもいいんですけど、フィルムでも今は良いものがありますから、ああいうものを見るのが大好きです。人間だけじゃなくて生きているものというのは刺激うけますね。
鳴門
これからどういうものを演りたいですか。
井上
私は、ここ二十年ぐらい小さな方の芝居も創らせてもらっているんですが、もっと意識的に大人の方に観てもらいたいなあと思っています。人形劇というのは、この間観てもらった「怪談牡丹灯籠」もそうですが、うんと幻想的な世界とか、今回のような諷刺性のあるものとか得意なんですよ。もっと大人の方に 観て頂ける舞台を創りたいと思っています。テレビなどでは、どうしても幼児番組が多いですし、子供の観るものという意識があるので、それを覆したいという思いがあります。一回観て頂くと、やはり演劇ですよと言って下さるんですけど。
鳴門
演劇ですよ。「怪談牡丹燈籠」「うかうか三十…」も。
井上
可能性としては十分あると思ってます。勿論私だけでなくて、プークの他の演出家もやりたいと思っているでしょうし、他の人形劇団も、プークがこうやって市民劇場に例会で取り上げてもらっていることを喜んでくれています。段々とそういうことで拡がっていくと、嬉しいなあと思っています。
鳴門
学校公演って多いんですか。
井上
最近はプークの場合はそう多くないです。文化庁の巡回公演はほぼ毎年やっていますが、子ども劇場や幼稚園・保育所でより上演をしています。二十年ぐらい前までは非常に多かったですけど・・・。結構プークは自主公演が多くて、新宿のプーク人形劇場や紀伊国屋ホールなどでやっています。 基本的には四つのグループで各々作品を持って、日常的に動いているんですけど、その二つを合わせて、こういう大人の少し人数がかかるものをやっています。
鳴門
次、予定している作品はあるんですか。
井上
この間も次は何ですか?と言われました。
まだ個人的な段階ですが、15年前から考えているものがあります。
工藤直子さんという詩人がいるんですけど、その方が書かれた「友達は海の匂い」という鯨とイルカのお話です。詩人が書いたから言葉がとてもいいんです。鯨とイルカだけの芝居なので、海をどうやって表そうかとか考えています。この作品はずっと暖めているものなので・・・。
鳴門
「金壺親父恋達引」は良かったですね。
井上
ご覧になりました?あれは面白いでしょう(笑)。人形劇ならではのものですね。あれは井上ひさしさんの新作文楽なんですよ。モリエールの守銭奴を元にしたもので、人形劇として動くリズムがあって遣りやすかったですね。役者もそう言っていましたし、是非観て欲しいです。
鳴門
話が突然変わりますが、好きな言葉はありますか。
井上
今回井上ひさしさんのこともありますから、共感していることは「難しいことを易しく、易しいことを深く」です。
難しいことを難しく言うのは簡単なんですね。「難しいことを易しく」の易しくは浅いわけじゃない。それを深くどうやって表現するかは、人形劇の基本かなあと思います。後から井上ひさしさんの書いたものを読んだら、どんどん増えてますよね。「深いことを面白く」とかね。「難しいことを易しく、易しいことを深く」は大事にしています。
やっぱり一つの仕事をやるのって、最低七年とか十年とか掛かるんですよね。止めないでやってるとどなたかが楽く観てくれて、少しずつ拡がるという実感はあります。
鳴門
皆どれも良いですね。
井上
こういう情報化社会ですから。香川で初日を開けた途端、「こうだったよ」と言ってくれたものですから、昨日の徳島も神戸の方たちがどっと観にきてくれました。一回やったことで、そういう情報がはいって観に来て下さるというのはすごく嬉しいです。
鳴門
本当に良かった。ほんわかしましたね。
井上
とてもいい反応なので、お客さんにも助けられていいます。やっぱり一方的に舞台だけとかありえないので、私は、舞台と客席との空気が動くことが一番だと思います。舞台から発せられたエネルギーが客席に行って、何かが響いて、また客席から戻ってくる。笑いなり、うわーという気持ちがあって、それが又舞台で受け止められるんですよ。
わかるんですよ、皆その反応が。集中してシーンとしている時も分かりますし、食い入るように観てくれている感覚も分かりますし、大いに笑ってくれても大丈夫です。
毎回毎回微妙に違いますしね。そういう事が一番嬉しいですね。客席の反応と舞台のエネルギーが受け渡されている、空気が動くというのがいいですね。
鳴門
最後に、我々のような演劇鑑賞会について何かあれば一言お願いします。また鳴門の会員にメッセージをお願いします。
井上
地元で演劇を観ようという運動は世界中捜してもありません。びっくりすると思う。
地元で文化を愛して演劇を愛してということで、また観て感動したりすることを共有することが喜びだろうなあと思います。人形劇も入れてもらって一緒に歩いていきたいなあと思います。私は「怪談…」で鳴門の方たちと出会って、事前の際皆さんと海でバーベキューをやって楽しかった。バーベキューがいつの間にか阿波踊りになって、あの自然さ、踊りも見事なんですよね。それ以外でも、ここの歴史ですよ、ドイツ語で第九が歌える人が沢山いるとか。それはすごい文化だと思いました。
大江巳之助師匠の人形の頭がそこにも飾られていますが、プークも師匠とはとても仲良しでして、本当に美しいというか中身が出てくるものですね。是非そういうものを大事にして、続けて欲しいと思います。
鳴門
本当に有難うございました。
井上幸子さんとインタビューア

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