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2002年から2006年の記録
最新のみんなの広場鳴門市民劇場は1998年6月に独立。青年劇場「愛が聞こえます」を第1回目の例会としました。あれから8年、2006年9月9日に50回目の例会を迎えました。(鳴門地域例会からは、77回目)
会員一同感慨の思いで劇団民藝の「明石原人」例会を迎えました。9月運営サークルの担当は、準備・当日の本番と気合が入り、次のような行事を実施しました。
■あなたの心に残る作品は何?
ちなみに幹事会で人気ベスト3は
○雁の寺
○頭痛肩こり樋口一葉
○夢があるから!
でした。【50回上演作品を集めたチラシ】
クリックするとPDFファイルが開きます。
- ■
- 事務所に集まり2日間かかって作成。
- ■
- 担当は搬入の時に、この瞬間のために練習もしました。あっという間だったのでちょっと物足りなかったかな?でも、会員の方から、「これで50回記念例会と分かり、心に残りました」と言ってもらえて…あ〜よかった。
「鳴門市民劇場が独立して、50回例会を迎えられらたそうです。おめでとうございます。私はそれ以前、鳴門地域例会第1回目の舞台に立たせていただきました。何かの縁でこんな記念の例会に来ることができて嬉しく思います。近くでお芝居が観られるというのは素晴らしいことです。どうか皆さんの力で頑張って続けてください。今度は鳴門沖に鳴門原人の発掘のお話というので来ることが出来たら(笑)と思います。」
9月例会「明石原人」事前学習会
2006年5月21日(日)は、昨秋の「竜馬ゆかりの京都」に次ぐ、第五回鳴門市民劇場バスツアーの日です。5月だというのに、この1週間で晴れた日は1日程度でしたが、今日は本当の五月晴れになりました。日頃の皆さんの行いが大変良かったのでしょうね。
さて、朝8時に鳴門を出発して、9時30分に本日メインの「明石市立文化博物館」に到着しました。早速、会議室で学術員の方による説明が30分位ありました。大分県生まれの主人公「直良信夫」が体調を崩して静養していた時、恩師であり後に奥さんになる人と再会し、結婚後、奥さんの支えで、独学で勉強・発掘を行い、明石原人の化石を見つけたがなかなか認められなかったこと、などを知りました。
10分ほど離れた「明石市立天文科学館」の外見は灯台の様な高い建物で、最上階は天体観測室です。ここでも特別に案内してもらい、天文台設立時に子午線を決める時のエピソード、現在の太陽黒点の様子、等などを知ることができました。中でも私がビックリしたのが、月の直径は地球の四分の一もあり、冥王星よりずーっと大きいということでした。主塔にはラセン階段とエレベータがあり私は3階から14階の展望室まで歩いて登りました。一周すると明石市全部が見渡せ、特に明石海峡側では東の方に明石大橋の勇姿が見事でした。見る所は結構あり、時間が足りないという感じがしました。
ここから30分くらい東で次の目的地「須磨離宮公園」へ。ここの主目的は昼食であり、3千円の豪華な食事をゆっくりとって、公園内を見て歩きました。天気も良かったので、家族連れやカップルなど、たくさんの人が散策しており、さすが都会やなと思いました。バラが見ごろで、メイン施設の噴水広場周辺では色々な種類のバラが満開で、中でもプリンセス・ミチコ、プリンセス。チチブ、クイーン・エリザベスなど王族の名前のついたバラが見事に咲いていました。
2時半頃に、広大な公園を後に、花鳥園に向かいましたが、食後の満腹感からたった30分の道のりで寝てしまい、到着したのも気がつかなかったです。花鳥園はポートアイランドの南端にあり、海を挟んだ向かい側は神戸空港でした。駐車場側から見た建物の外観は長屋風の和風建築で、予想を裏切るものでした。その建物の中に入ると、薄暗く、1坪位ずつの広さのケージがたくさん並び愛嬌のある丸い顔や怖そうな顔など世界中のふくろう・ミミズクが飼われていました。『頭の飾り羽があるのが「ミミズク」、ないのが「フクロウ」』。
更に奥に入ると広大なスペースに花花花(大輪のベゴニアなど)、鳥鳥鳥(オオハシ、インコ等など)で本当にカラフルで印象的でした。どのコーナも同一種類毎に同じものがたくさんいて普通の動物園とは異なる雰囲気でした。池には200種類を超えるきれいなスイレンが見事でした。
最後の訪問地、神戸空港では、入り口に観光バス10台余が止まっていたので、さすが新空港は見学の観光客が多いのだなと思いながらターミナルに行くと、「沖縄帰り」らしい高校生の集団に会い、先のバスは修学旅行の帰りだなと納得したものでした。ターミナルの大きさは徳島空港の3倍くらいはあるように思えました。滑走路の見える展望階にあがると、非常にたくさんの見学者が飛行機の離陸を待っていました。神戸空港は人工島なので、展望台から見渡すと滑走路以外は海でした。ここではみやげ物を買うだけの時間しかおらず、帰路につきました。
今回、自己紹介を兼ねた一言感想は帰りのバスの中で行われました。天文台が良かった、博物館が良かったなどの感想と共に、『いや昼食後のデーザートを食べずに花見に出てしまい、おいしい「わらびもち」を食べ損ねたのが残念』、との感想が皆に大うけし爆笑でした。なにはともあれ全員元気に楽しい一日が過ごせました。
第9回鳴門市民劇場総会の特別講演
2006年1月28日の市民劇場総会において、特別講演として、全国幹事をされている広島市民劇場の亀岡恭二先生の講演を聴きました。
亀岡先生は、35年間にわたり市民劇場一筋に仕事をされてきた方です。その永年の貴重な体験に基づき、「市民劇場の活動はどうあるべきか」という内容のお話をしていただきました。
先生は、市民劇場というのは、二ヵ月に一度、優れた演劇を鑑賞するという文化を、私たちの手で、私たちの文化として、私たちの地域に根付かせ、守り、発展させる運動である、という話をされました。
鳴門のような地方都市に居ても優れた演劇を楽しむことができるのは、本当にすばらしいことです。この演劇鑑賞という文化を鳴門の地に根付かせ、私たちが歳を取ってからも楽しめるように守ってゆき、また子供達にも引き継いで行きたいものです。
市民劇場にはスポンサーは居ませんし、どこからの援助も受けていません。会員から集める会費だけで、会員自身によって自主的に運営されています。この演劇鑑賞の文化を守り、発展させてゆくためには、会員一人ひとりが主人公であり、自分達の文化を作る活動をしているんだ、との自覚が重要です。役員の方とか、サークル代表者の方だけが頑張ってお世話する、いわゆるタテ型の組織活動では発展がありませんし、長続きしません。会員一人ひとりが主人公であることを自覚し、サークの会員同士が対等平等な立場で活動に取り組む、いわゆるヨコ型の組織活動にしてゆくことが、市民劇場を発展させてゆく上での鍵になる、と先生は強調されました。
私たち鳴門市民劇場の活動はヨコ型の組織活動になっているでしょうか。今一度見直してみたいものです。
11月例会「竜馬の妻とその夫と愛人」事前学習会
10月16日、「花岡青洲ゆかりの和歌山」、「小泉八雲ゆかりの出雲」、「雁の寺ゆかりの京都」に続く、鳴門市民劇場第第四弾「竜馬ゆかりの京都」ツアーに行ってきました。最初は竜馬の墓がある霊山(りょうぜん)護国寺です。お墓は小高い大変眺望のよい場所で、竜馬の他に中岡慎太郎らのお墓もありました。護国寺の隣にある維新専門の歴史博物館「霊山歴史館」では、丁度坂本竜馬展が行われており、びっくりしたり、感心することばかりした。
次に向かったのは清水寺門前にある昼食の場所「日月庵」でした。ここでは豪華な料理がでて大満足でした。
ここは一時間程度の自由行動でしたが、私は友人数人と清水寺の大舞台を見に行ってきました。途中大変な人混みの中を掻き分ける様に早足で上っていくと、十分足らずで境内に入ることができました。お寺では二十歳から三十歳くらいの若者が半数ぐらい占めていたのにはビックリしました。
その後伏見区にある本命の「寺田屋」は百五十年以上たっているのにしっかりした外観でした。竜馬が襲われた部屋にはたくさんの刀傷や弾痕が残っていること、部屋が意外と狭いことにビックリしました。バスは寺田屋から数分の黄桜酒造さんに駐車させていただいていました。そこには酒に関するギャラリーがあり「酒は単純に一度に麹を混ぜるのではない」ということを知り、また、CMでお馴染みの河童の博物館もあり楽しめました。
最後の訪問地、醍醐寺(三宝院)では住職さんの案内で醍醐寺の由来を聞いたり、庭園を見ました。この庭園は、桜や紅葉が有名なところですが、今はただ青々とした木々が茂っていたのが残念でした。
ところで、今回の企画では担当幹事や有志の人の事前準備に感心しました。バスの中でも、往路・復路ともに退屈することなく、特に、復路では福引きもあり、最後まで楽しかったです。
最後になりましたが、添乗員さん、運転手さん共々安全運転のお陰で無事帰ることができ、感謝々々の一日でした。
(後日談 添乗員さんが鳴門市民劇場のパワーに感心して、入会してくれました。)
総会記念トークショー
2005年2月26日(土)、午後1時30分から老人福祉センター3階にて、第8回総会が開かれました。今回は、特別記念行事として、7月例会「ミラクル」で来鳴する劇団イッツフォーリーズより、主演女優の小野文子さんと制作の土屋友紀子さんをお招きし、「ミラクル」の魅力をたっぷりと語っていただき、挿入歌の披露もしていただきました。
土屋友紀子さん講演
劇団イッツフォーリーズは日本でオリジナルミュージカルを広めようと、作曲家いずみたくが創立した劇団です。これまで100本以上の作品を手がけてきましたが、「ミラクル」は2002年2月に生まれました。一般的に連想されるミュージカルと比べると少し異質なもので、華やかな群舞などはありませんが、逆に、主人公の少年アルの内面を描いた内容の深い作品です。出演者、スタッフ全員が原作(辻仁成)を片手に約1年半かけて練り上げただけに、チームが作品に賭ける愛情や情熱はとても強い。主演のあおい輝彦もライフワークにしたいと言っているほどのこの作品をどうぞお楽しみに。
小野文子さんの歌のご披露
「総会へのお祝いの気持ちを歌で表現させていただきます」とおっしゃり、まず『愛に生き、平和に生き』(いずみたく作曲、岩谷時子作詞)をアカペラで歌ってくださいました。透き通るような歌声に一同うっとりと聞きほれた時間が流れました。「ミラクル」については、「共演でパパ役のあおい輝彦さんはいつも手を握って『頑張ろうネ』と言ってくれる、本当に気さくで温かな方」と紹介。そして、チーム全員で真心をこめてこの素敵な作品を素敵な舞台にして届けたいと静かに熱く語ってくれました。最後に、当日カーテンコールで歌うという『たとえば雪のように』を一フレーズずつ丁寧に指導してくださり、やさしく可憐な「歌のおねえさん」(小野さんはベネッセ子ども向けビデオの歌のおねえさん経験者)の魅力にひきこまれ、会場が一体となって歌を楽しみました。真夏の公演に雪が降る「ミラクル」が果たして起きるでしょうか?いずれにしても、例会への期待は大きく膨らみました。
飛び入り!インタビュー
七月例会「ミラクル」(イッツフォーリーズ)
★主演女優 小野文子さん ★制作 土屋友紀子さん
上記総会記念トークショーのために来鳴いただいたお二人にお話を伺いました!
- 鳴門市民劇場(以下鳴門と略)
- どんな経歴でミュージカル女優に?
- 小野(敬称略)
- 中学から声楽の勉強をしていたのですが、ダンスにも興味が広がって、ミュージカルをやってみたくなりました。
- 土屋(敬称略)
- 彼女、最初はベネッセの子ども向けビデオで「うたのお姉さん」もしていたのですよ!
- 鳴門
- 「ミラクル」の魅力は?
- 小野
- 大人も子供もどんな人でもそれぞれの立場で観てもらえることでしょうか。
- 土屋
- 父子の物語で子供向けのようにとらえられがちですが、大人に対しても、「自分達もいつも成長過程にあるんだ」ということを思い出させるような作品です。
- 鳴門
- 小野さん演じる少年のパパ役のあおい輝彦さんは、今どんな雰囲気ですか?
- 小野
- たいへんほがらかで気さくな方です。
- 土屋
- 年齢を感じないくらい昔と全く同じですね。今回はよっぱらいのだらしない父親役ですから、最初は悩まれたようですが、“あおい輝彦”のイメージを殺そうと随分工夫され、今ではこの作品をライフワークにしたいと言っているほど入れ込んでいます。
- 鳴門
- 少年役ということで工夫は?
- 小野
- まずはかつらはやめて髪を切りました。あと、電車に乗っていても、つい少年の動きなどに目がいきます。どんな仕草をしているんだろうって。実は男の子役、多いのです。「はだしのゲン」ではシンジ役、ピーターパンにも少年役で出演しました。
- 鳴門
- 歌って踊って演技は難しいでしょうね。
- 小野
- 私は不器用なので、まず曲を身体に入れようとします。そして身体が自然に動いたときに身体を通して歌が出てくるような感じです。今は普段の生活の方がウソっぽく思えるくらいですがもっともっと舞台の上で自然であれるようにと思っています。
とっても愛くるしい小野さん、お話上手な土屋さんとのあっという間の楽しい時間でした。
早くこいこい!七月例会「ミラクル」!!
「お通し」づくり
寒い楽屋前の廊下で熱い豚汁の入ったおわんを持ちフウフウと冷ましながらおいしそうに食べる役者さん、大道具さんたちの姿に、それまでの緊張が解け、喜んで食べてもらったことのうれしさがこみ上げてきました。
平成17年度第1回例会(1月26日)は、1月公演にふさわしい前進座による歌舞伎「髪結新三」でした。
前進座は1月3日から1月23日まで京都南座で、同じ演目での正月興行を済ませた後、そのまま24日に鳴門に入り、24、25日は公演に備えて舞台設営また稽古になっていました。3日間も鳴門で宿泊されるので、鳴門市民劇場としても座員の方々に25日のお昼くらいは「お通し」を出すことになりました。私自身は、新米でもあり「お通し」の意味も分からなかったのですが、差し入れの言い換えのようです。
献立は、豚汁、おにぎりと蒸かしいも(鳴門金時)でした。
25日の朝9時に市民劇場事務所に総勢9人の会員が集まりました。この中の3人は、調理師(プロ)でしたので、その方々の指示に従って50人分の豚汁とおにぎりに挑戦しました。事務所の奥の台所で豚汁、会議室でおにぎりと別れて調理しました。ちょうどノロウイルスによる食中毒が問題になっていた時期でしたが、おにぎり作りは、両手にうすいプラスチック製の手袋をつけ、さらにお酒で消毒をしてからと万全の注意を払ってしました。さすがにプロは行き届いていると下働き専門の私は目を見張る思いでした。豚汁も材料の切り方、大きさなどを絵で図解してあり、とても作業がやりやすく12時頃には、おにぎり180個、豚汁大なべ3杯、蒸かし芋とすべて出来上がりました。
前進座の稽古が終わる頃に、全員で楽屋に運び込みました。その日は、格別、寒い日でしたが、楽屋には暖房も入っておらず、その中で、役者さんはゆかたと足袋だけでとても冬とは思えないような姿でしたが、それでもシャッキとしたふるまいで役者魂をみたように思いました。
1月3日以来興行が続いているため、家庭的なものは口にしていないとのことで、豚汁にはとても喜んでいただいたようです。若い大道具さんの中には豚汁を何杯もお代わりされる人もあり、間近に舞台裏の役者さん、また舞台を支えている大道具さんの生の姿を一瞬ですが垣間見ることができ、演じる人と観る人との垣根が少し低くなったように思った1日でした。参考までに当日使用した食材は次のとおりです。
おにぎり(三種:梅干、鰹節、わかめ):米 8升
豚 汁:豚肉2.5kg、大根3本、にんじん6本、ゴボウ5本、
里芋20個、干し椎茸20枚、こんにゃく5枚、油げ20枚
その他、さつまいも、タクアン
能登演劇堂ツアーレポート
7年前たまたま阿南市民劇場に誘って頂いて、『能登演劇堂ツアー』に参加した八枝ちゃんと米ちゃん。
この感動を是非皆に味わってもらいたい、という気持がずっと続いていた。そんな時、無名塾から『いのちぼうにふろう物語』能登ロングラン公演の案内が届いた。
こんなチャンス逃すわけにはいかない。早速幹事会に声をかけると、「行きたい!」の声が…。
そんなこんなで実現した『能登演劇堂ツアー』。その様子をレポートしました。
『みんなで「いのちぼうにふろう物語」を観に能登演劇堂へ行こう!』を合言葉に出発!初日、バスの中で参加者に伝えられたのは、『ひとり一役』。挨拶・ガイド・進行・観光場所の案内・宴会の余興などなど。役はいっぱいあります。個性を生かし、二日間の旅に彩りを添え、味のある雰囲気作りが目的です。この提案は旅の楽しさを倍増させてくれました。だって道中なが〜いんですもの…。参加者のみなさんには感心しました。どの人も持ち味たっぷりです。★千里浜なぎさドライブウェイ★
信じられない!海辺を自動車で走れる砂浜。それも何キロも先まで…。だって満潮時間になると海になるのですよ。これって信じられます?
「運転手さん。ちょっと降りて写真を撮りたいんですけど…。」時間もないと言って急いでいるにもかかわらず、無理を言って止めていただきました。砂に足を置いてもめり込まず、普通の道路という感覚。そこからは、遠く日本海の水平線まで見渡せました。私より海の方が高く見えるのはどうしてでしょう?ここで運転手さんにお願いし、思い出の写真を撮って頂いて、自分も何処までも続く青い海と白い渚を目に焼き付けました。う〜ん満足。
さて、早く!早く!出発。
でもでも、車の中は砂だらけ…運転手さんごめんなさい。★中島町祭り会館★
当初予定になかったのですが、ちょうどいい時間でもう1つ楽しめる場所、ということで選んだ、『中島町まつり会館』この中には有名な中島町の祭りに使うお面の数々、衣裳その他まつりの様子のビデオ上映など、町の人々が1つになって、祭りを楽しむ様子がうかがえる、ちょっと面白い。
ここで、びっくりしたのは、突然長野市民劇場や、北アルプス市民劇場のみなさん、そして、東京芸術座『橙色の嘘』の時の制作釘浮ウんとばったり会ったこと。
こんなところで、他団体や、劇団の方にお会いして仲良く記念写真を撮ったり、紹介し合ったりなんて、思いがけない出来事でした。これってすっごいおまけじゃない?
これが一番の目的。舞台の後ろが観音開きで開き、外の景色がそのまま舞台美術になる。ここでしか観ることが出来ない舞台。
特にこの『いのちぼうにふろう物語』ではクライマックスで出てくる。いままでぬくもりのあるホールの中に、突然舞台前から冷たい空気が流れてくる。何かが起こりそうな雰囲気。しばらくすると、暗い闇の中に、ご用提灯のあかりが至るところパッ、パッと時間差でつく。「ご用だ!ご用だ!」の声と共に、ずっと向こうから走ってこちらにやって来る。思わず「危ない!」「早く逃げろ!」と心の中で叫んでいる自分に気づく。そうなんです、知らず知らずのうちにお芝居の中に自分もはまっているのです。その目の前に広がる景色は普通の舞台では見られない、はるか遠くの景色に見えたり、立体感のある景色になる。それはもう映画の大スクリーンと生の舞台が一体化された、なんともいえないものである。それをみていると鳥肌が立つ。
舞台の上から客席に、冷たい外の空気が流れてくるというもの、なんとも言えない感触である。こんな、演劇堂の設計を考えた仲代達矢はえらい!
あ〜これぞ演劇の醍醐味だ。
綺麗なおかみさんと、綺麗な仲居さんが迎えてくださった、和倉温泉「花ごよみ」
この夜の宴会がまたまた面白い。歌ったり、踊ったり、最後はおかみさんをお呼びして「阿波踊り」を披露。温かく迎えてくださった旅館のみなさんにすこしだけ、お返しの気持でした。
温泉に入ってのんびり…。★輪島朝市★
翌日もよく晴れた日である。
能登半島の最北端にある輪島の朝市にでかける。
ここは自由行動。パンフレットで「輪島の人と話しをして値切るのが朝市の楽しさ」というのを見ていたわたし達。この日の進行は裕子ちゃんご夫妻。なんと、いきなり帰りのバスの中では、朝市で買いものをした品物が主役。
ひとりずつ、朝市の雰囲気の中でかったものを、紹介するのだ。
カニは無かったな〜。地ビールは美味しかったな〜。★白山スーパー林道★
連休の晴れた日、また紅葉時期とあって、車の渋滞が続き動けない。なんと1時間も…。でも上に上がるたびに紅葉が美しくなるのは、ちょっと嬉しかった。いろいろな豪快な瀧も頭から落ちてきそうでスリル満点。
でも、次の目的地、白川郷へ行けなくなりそうでハラハラドキドキ。★白川郷★
やっと着いたかと思うともう夕方にさしかかっていた。せっかく来たのですが、滞在時間は30分。みんな大慌てであの静かな合掌作りの家が立ち並ぶ民家へ…。
あ〜あやっぱり、こんなところはゆっくりそばでも食べながら、のんびり見て心を落ち着けるところ。
以前には、この地域は雪をかぶって景色がまた違ったものでした。秋の白川郷もなかなか美しい。厳しい冬をどのように過ごすのかと思うと、寒さに弱いわたしは、きょう来られてよかったと思うのでした。こうやって無事終了した「能登演劇堂ツアー」でした。
参加者22名のみなさん、ご苦労さまでした。いつまでも思いでに残るといいですね。(文責・わかめ)参加者の一言感想
■中島町の「まつり会館」で、北アルプス市民劇場と長野市民劇場の方々に出合い、市民劇場は全国規模なのだという、あたり前のことに感激した。その「まつり会館」で勇荘なな枠旗祭りの映像を見て、この地の人々の伝統や文化に対する熱き思いに感動させられた。そして、仲代達矢がこの地を選んで演劇堂を建てたことにうなずける気がした。
地域の生活と演劇文化が共存していることを肌で感じられた旅でした。(NH)■今回で2度目の能登演劇堂での観劇でした。やっぱり舞台背面が両側に開いた瞬間は、観客の「ほうっ…」というのど元から思わず洩れた感嘆の声と同様の感動が私を襲い、身内が熱くなった。遠く暗い木立のあちこちに、「御用」と書かれたちょうちんの灯す火が、今も鮮明に目に焼き付いている。
まだ、知らない人達にこの感動を是非味わわせてあげたいものだ。(Y子)■気候もよく、観光もさせていただき感謝です。
いのちぼうにふろう物語の最後に能登演劇堂の舞台の奥の扉が開き、舞台と屋外を縦横に駆けめぐり捕り物が繰り広げられたシーンに感動しました。あの芝居を毎日やってるって、役者ってすごい!!(na)
★ おめでとう!中尾貴子さん
五月例会『雁の寺』で初舞台を鳴門で迎えた女優さんがいます。皆さん覚えていますか?久間家のお葬式の場面で、セーラー服を着ていた親族役。そのかわいい女の子が中尾貴子さんです。
そのことを知った、運営サークル担当のみんなで初舞台を記念して、またこれから大女優として活躍してもらえるように、花束を渡してお祝いをしました。
17歳の元気ハツラツの彼女は、花束をしっかり胸に抱き、「初舞台をこんなに暖かくお祝いしてくださって、本当に嬉しいです。どうか応援して下さい」と明るく答えてくださいました。
また、こっそり舞台を覗きに大阪から来られた,ご両親と弟さんは、立派な初舞台姿に涙を流してご覧になったことでしょう。
初舞台が鳴門なんて、こんな経験、私たちもめったにめぐり合えることではありません。中尾さんのちょっぴり緊張した顔の中に、明るい笑顔を覗き、私達運営サークルのメンバーも「頑張って!」の心がこもった拍手を送りました。
『雁の寺』の舞台・瑞春院をたずねて
今は、三月二八日(日)午前十一時、ここは京都・相国寺にある瑞春院前です。雁の寺の作者である 水上勉ゆかりの地を訪ねるツアーの第一歩を踏み出したところです。日頃の皆さんの善行のお蔭でしょうか、今日は最近数日の寒空とはうって変わって穏やかな五月上旬の暖かさになり、快晴です。
ところで、水上勉は十歳から四年余り徒弟となり、ここで過ごしています。その後数奇な運命をたどり、四十二歳で直木賞受賞作品「雁の寺」を書いています。瑞春院には雁の母子愛を描いた襖絵があることから「雁の寺」とも呼ばれています。相国寺は禅寺、金閣寺の本山にも当たります。たくさんの襖絵やきれいな庭がありました。
四十五人が行ったので説明時間がかなりオーバしてしまいました。
急いで昼食です。北山鹿苑寺(通称金閣寺)近くの錦鶴でおいしい「湯豆腐料理」をいただきました。さあここで大変なことになりました。時間がなくなって「等持院」か「妙心寺」のどちらかをパスせざるを得なくなり、後者を選びました。
妙心寺は、水上勉が瑞春院を脱走した後等持院にはいりそこから花園中学に通っていた時、軍事訓練で毎日のように通ったところで、約十万坪の広さがあり、重要文化財の法堂には狩野探幽が描いた「八方にらみの龍」の天井画や千三百年前に鋳造された国宝の鐘がありました。
徒然草に「およそ鐘のこえは黄鐘調なるべし・・・・・」とあるその鐘で、もとは浄金剛院にあったものだそうです。
最後に「角屋もてなしの文化美術館」を訪れました。ここは、「雁の寺」とはなんら関連はありませんが、完全予約制で、通常はなかなか見ることができない江戸幕府公認の「揚屋」(今の料亭)で、現在は重要文化財に指定されています。京都の西方の「島原花街」にあり三百五十年もの歴史があるんだそうです。百畳の広さの厨房と大小十位の部屋があり、各部屋は「網代の間」、「緞子の間」などそれぞれ異なるコンセプトがあり、障子の桟や襖絵はそのコンセプトに合せて創られていました。
今話題の新選組や勤皇派も一時期は利用したがそれは長い歴史のうちのほんの数年であることや、「太夫」は美しいだけだなく高い教養を身につけた傾城の最高位をさし、「花魁」とはまったく種類が違う、ということを五・六人の係員が分担してしっかりと説明してくれました。非常に有意義な四十分でした。がってん・カッテン・合点!!
最後になりましたが、ガイドさんは行く道々、お寺の情報はもちろん、有馬温泉の由来や果ては鳴門の高島は四百年前の地震で隆起したところであるなど、非常に博識かつ経験豊かでした。最後まで安全運転に努めてくれた運転手さん共々、感謝々々の一日でした。(文責・M)
楽しかった独立5周年パーティー
眼前に広がる鳴門の海、かすんで見える対岸の淡路島。心癒す海岸美をのぞむ、鳴門町大毛島の「鳴門グランドホテル」…。この鳴門グランドホテルで、6月28日鳴門市民劇場独立5周年記念パーティーが開催されました。
不況の中ということで、参加申込み人数には当初不安がありましたが、それも日を追う毎に増え、当日は申込者92名が全員参加。
5周年を祝ってくださった心温かき人々に、感謝!感謝!
★セレモニー★ こんな温かいお言葉を頂きました。
鳴門市
細川助役様文化会館
宮本館長様鳴門市に文化団体として大きく根を張り、広く市民に認められています。これからも頑張ってください。 年間6回と、数多くの人が集まってきてくれて、文化会館の活性化に繋がっています。これからもどうぞよろしく。
★もりだくさんの企画で参加者大満足★
●華麗なマジックショー
(はまなす)山崎和代さん
●目もさめるようなフラダンス
(4サークルから8名の皆様
岩田希子さんと播磨静代さん)
●自慢ののどを披露:カラオケ
(仲良し)粟田絹子さん
●じゃんけんゲーム
山崎辰三郎さんvs全参加者
チャンピオンは誰?
●みんなで歌おう
「みなさ〜ん!しあわせ?」で始まった
『幸せなら手をたたこう』
●全員で恒例の阿波踊り
●寸劇「市民劇場ソング」〜明日に向かって〜
5周年を記念に役員全員出演!!
★お祝いメッセージ★
徳島市民劇場
三宅副委員長様
今、鳴門が一番堅実。
四国の星に!
県内で力を合わせて
頑張りましょう
阿南市民劇場
篠原会長様
地域例会からはや10年。
そんなにときがたったと思えませんが、
いい組織になりましたね。
ジャンボサークル
小山美明様
感謝の気持ちで一杯です。
山崎辰三郎さん「深川かっぽれ」
−前進座(徳島県出身)−
踊りのご披露で、祝ってくださいました
★参加者の言葉★
香川 三宅恒司様
役員全員が力を合わせ大活躍
これは今の鳴門の活力を象徴していますね。撫養サークル 松村ハツコ様
徳島の時から観ています。
鳴門で観られるようになって嬉しい。
みんなが力を合わせてずっと
続くようにしたいです。母子草サークル 佐藤絹子様
他のことはよく忘れますが、
市民劇場は忘れず観ています!
たくさんの方に参加していただき、趣向を凝らした催しで会場を拍手と笑いの渦に巻き込み、共に楽しみ合った祝宴が終わりました。山崎辰三郎さんをお迎えしたことが会員の方々には大好評でした。
お祝いのスピーチも、私たち会員が頑張っている姿を誉めてくださるお言葉や励ましと声援をおくってくださるお言葉ばかりで、心に染みました。
独立5周年を祝ってみんなで取り組んだパーティー。いい思い出ができ、会場いっぱいの楽しさが、元気、勇気となり、より一層の連帯感を味わうことができました。参加してくださった皆様、どうもありがとうございました。
これを契機に、「心を豊かにする演劇」を更に観続けていくよう、みんなで手を取り合って前進したいと思います。
五月二十四日、サークル代表者会において六月例会「頭痛肩こり樋口一葉」にちなんだ講演会が開かれました。
講師の森さんは、元、国語教員で、文学へのご造詣が深く、鳴門市民劇場ではこれまでにも、松井須磨子や与謝野晶子についてご講演いただいていますが、今回も終始お優しい口調で、また時折ユーモアも交えながら、たいへんわかりやすく一葉にまつわるいろいろなことを教えてくださいました。
樋口一葉との出会いは、森さんが高校生の頃だったとのこと。台湾引揚者の新垣先生から一葉のことを教わり、極貧の中で、夭逝 (二十四歳 没) する直前のわずかな時間―後世に、『奇蹟の十四ヵ月』と呼ばれた―に類まれな才能を発揮したすごい女性であったことに感銘されたとか。
樋口一葉は、百姓から侍になった志熱き父親、その父親と駆け落ちをした情熱家の母親から生まれたそうです。「女に教育は無用」とのお母さんの考えで、小学校四年までしか行けず、さらに、父親、長兄の死後、次兄も家を出たために没落の一途をたどる樋口家で「相続戸主」にならざるをえなかったとのこと。
その時代の戸主は他家に嫁ぐことができなかったこともあり、妹と共に駄菓子屋経営、針仕事や洗い張りで一家を支えました。そんな中で、苦しい生活から抜けるためにと、生来の才能を生かして小説を書き始めます。そのとき、一葉に多大なる影響を与え、また悲恋の相手ともなったのが、半井桃水 (なからいとうすい) という男性だったというお話は興味深いものでした。
森さんはその逸話から、「人は人生の中で、いつ誰に会うかわからず、その出会いにどう関わるかで人生も変わることがありますね。」と続けられました。
また、「彼女の情熱を見習い、自分も今後の十年を『奇蹟の十年』とすることができるよう、何かをやろうと頑張っています。」と本当に、穏やかな中にも力強く語ってくださいました。
図書館等にある一葉に関する書物も多く紹介してくださり、芝居をきっかけに、文学のことをもっと勉強してみたくなりました。
また、私達も、森さんをそして一葉をお手本に、情熱を傾けられる人生を自分でつくっていかなければと強く思いました。
最後にいただいた、「鳴門にもっと芝居好きな人が増えて、豊かで精神性のある街になってほしいですね。」というコメントからは、勇気と希望をたくさんたくさんいただくことができました。
ご協力ありがとうございました九月一日(日)、昨年に続いて、渦まつりフリーマーケットに出店しました。鳴門市民劇場の宣伝のために、渦まつりに参加しました。市民劇場を多くの人に知ってもらうことが目的でした。品物を買ってくださった方、渦まつりに来てくださった人にも、宣伝活動のチラシを渡し、話しかけ、市民劇場のことを熱く語りかけました。 |
会員のみなさんから提供していただいた品物を少しでも値段よく買っていただけるよう、幹事一同、汗をかきかき頑張りました。おかげで無事完売するこができました。 収益金は、市民劇場運営費に全額入金させていただきました。フリーマーケットに参加したことで、会員のみなさんの温かいご協力をいただいたことと、市民劇場の活動を多くの市民の方々に知ってもらったことを感謝し、お礼を申し上げます。 本当にご協力ありがとうございました。これからも、楽しい劇をたくさんの人々で観続けていきましょう。 |
戦争のない この平和がずう〜っと続きますようにと願いつつ、また、毎回すばらしい芝居を観ることができることに感謝し、もっともっと市民劇場を多くの方々に知ってもらいたい気持ちで、「小さな世界」と「市民劇場ソング」である「明日があるさ」の替え歌を踊りました。
この市民劇場ソングは皆さんがすぐ親しめ、すぐ歌える歌です。歌って踊っていると元気が出てくるから不思議です。
「市民劇場には夢がある」と歌詞にありますが、本当にそうです。
写真のとおり、パワーあふれるメンバーのダンス、いかがでしょうか。
『「三人吉三」のせりふを交えた"歌舞伎よもやま話"』
2002年7月13日
(2002年7月13日(土) 13:50-15:30 鳴門市老人福祉センター)
今年は、9月例会の「三人吉三巴白浪」でお嬢吉三(おじょう きちざ)を演じていただける河原崎國太郎さんにお願いしました。【講師】
前進座 河原崎 國太郎(かわらさき くにたろう)氏1967年 『魚屋宗五郎』 酒屋の丁稚を初舞台にし、1982年入座。 東京 生まれ。
以下は、河原崎さんの講演内容を要約したものです。 『おはようございます。』 の挨拶、今頃少し変ですね。 演劇界では、その日初めて会ったら、必ず『おはようございます』の言葉を交わす。夜、会っても初めてだったら、この挨拶だ。江戸時代は電燈などあろうはずがない。いつも顔を合わせるのは朝、これが芝居の慣例になっているそうだ。 歌舞伎のそもそもの発祥は、1602年、 およそ400年前に阿国(おくに)さんが舞伎おどりを見せたことで庶民の芸として広がっていった。『歌舞伎』 のもともとの意味は『傾ぶく』ということで、 人目につくという意味で、奇抜なおくにさんの服装から来ている。 しかし、その後商業主義に使われ、『女人の売買行為に使われたので、女人は舞台に立ってはいけない。子どももいけない。』とのお達しがあり、成人を迎えた男性だけで舞台を勤めるようになった。踊りも舞台も荒ごと(スーパースター的)が多くなった。 |
芝居をする上でどうしても、お姫様や傾城(けいせい)をする人が必要になってくるので、その役を男性が演じる、女形が誕生して来た。この女形は、女性より女らしい、理想の女性像、としてつくりあげられた。
日本舞踊の修業をして、決してひじを出さないように、手の所作をする。ひざに和紙を挟んで、なよなよ歩く。肩甲骨をぐっとつけて、肩を下げる。これはなかなか厳しい修業である。その上、18kgもある衣装を付ける。衣装はまだまだ重い物があり、それを付けて1時間も動きっぱなしで、喋りっぱなしだから、肉体的には相当の重労働である。
今も 女性が舞台に立たない、立てない理由はこのあたりにあるのではなかろうか。これらのことはすべて順序だてで修業をして受け継がれていく。 実に厳しい、芸の道である。
精神的にも抑圧されている。一尺下がって亭主を立てる。それを舞台でも気を回す。相手役を意識して、小道具などを次々と手の届くところへ置くようにする。
私生活でも 、そういう気持ちで、完全に女に成りきる努力をしている。開演前には相手役と顔を合わせないようにして、気持ちを集中しているとか、心遣いしている。祖父の『血の道が起きてね。』 という笑い話もある。
女形を演じる上で発声が重要なポイントになる。人によって異なるが、日本の義太夫や浄瑠璃の発声が基本になっている。腹式呼吸が一番難しい。高い声が出にくい。嵐市太郎の芸名で、14才の時に女形を初体験、変声していなかったので、よく声がでていた。16、17才くらいに変声して、18才(高3)の時 『芝浜の革財布』で大棚の蛭の役を演じたが、 役にはよくのっていたが、声に苦労した。それから、声が出ない時代が6年間続いた。
24才の時、10分間、3人で泣きわめくという芝居に 出演することになった。 太棹の音とベテランの相手役の中で、鍛えられた。その経験で、不思議なことに、いつの間にか楽に声が出るようになっていた。お稽古しているうちに声の出し方が身についていた。その頃から、すごく女形が楽しくなった。
『鳴神』の絶間姫役は父に細かく教わった。突然父が腸閉塞で緊急入院をすることになってしまった。毎日、舞台の手伝いをしながら父の演技を見ていたので、代役を勤めることになったが、見ると演ずるとは大違いで、10分も続く長ゼリフで声が出なくなった。声量にも限度があることを初めて知った。
声が出なくなることもなく、息切れもせず、汗もかかず、父は舞台を勤めていた。それ以上のことをやり抜く、これが修行である。役者は40代、50代は鼻ったれ、まだまだ頑張っている。
『セリフを交えて』という演題だが、よく知られている『こいつぁー春から縁起がいいわぇ』という名ゼリフを舞台で言うのは、大変プレッシャーがある。木阿弥の作品は七五調になっていて、口調がいい。お嬢吉三のセリブは例会当日をお楽しみに。
お化粧の実演に移る。 人前で化粧をすることは、大変緊張する。楽屋うちや制作過程は見ない方が良い。化粧台前はきちんと整えて、身内にもさわられるのを嫌がる。自分だけの世界である。 水化粧が基本である。 @ 女形は眉を剃る。びん付けで眉を殺す。しっかり眉を張りつける。 A 下地クリームをていねいに塗る。今日は顔だけだが、首や襟足に念入りに塗る 。 (これで5割がた終わったようなもの、とのこと。 下地クリームがいかに大切かを痛感する。) B 眉のびん付けをとる。 C 帽子をかぶる(手作りとか)。 D 羽二重の布で頭を締める(眼をつりあげる)。 E 眉つぶし(ドーランの肌色で)。 F 頬紅をほんのりとつける(位置が下に来ないように)。 G おしろいを塗る。(これには鉛が入っている。ボタン刷毛で2〜3回塗っていく。 顔より襟を白く塗る。これが大変難しい。 下地がきちんとついていないとむらになる。これが出来て一人前。)
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H 眼をきかせる(まつ毛をはっきりとさせる)。 I 口紅をひく(自分の口より、小さく、おちょぼ口に、下唇を大きく、上唇は小さくかく)。 J 眼ばりを入れる(アイシャドー、耳を半分赤く塗る。鬢の下からぽつんと紅色が見えて、 何ともいわれぬ色気が出る)」。 K 眉をかく。(芸者は黒、娘さんは赤、黒い中から赤がちらりというのも、娘さんらしい色気がある。女形は笹眉、紫色の帽子から鬢に眉を立ててかくこともある。男女の違いは眉の長さで区別する。男性の方を長くする。眉が一番難しい。教えてくれる時には、1回目は両方描いてくれる。2回目は片方だけ、後は自分なりに描いていく。7〜8年はかかる。 L アイラインを入れる。 以上で美しい、女形ができあがった。 |
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続いて、 隈どりの実演に入る。 『鏡獅子』の中で、腰元・弥生の役から獅子が乗り移って、変身していく。 @ 口紅をぬりつぶして、真っ白にする。 A 眉を塗り替える。 B 口を割る(への字の形に黒で線を入れる)。 C ぬき身 |
《化粧によって、別人のように変身していく。 一本の線が役づくりをしていく、匂うような絶世の美女から、わずか数分の間に変容していく顔、それを舞台が進行している間に舞台裏でやらなければならない。まさに芸の深さ、重みを感じた。雑で荒削りだが、それがまた魅力で実に迫力がある。》 今回は 『三人吉三巴白浪』だが、三世が、3人で力を組んで、新鋭・前進座での舞台をしっかり勤めたい。今、役者としての仕事は、伝統芸能を次に残していくことである。そのために、これからも全国のみなさんが一人でも多く舞台を観るために集まってくれるよう、市民劇場に一人でも多く足を運んでくれることを願いつつ、前進座も低いコストでできるように、頑張っていきたい。「劇団」と「市民劇場」がお互いに助け合って、成長していきたい。 |
『おもしろ方言ばなし』2002年4月27日
5月例会に向けての特別講演会 講師 鳴門教育大学教授 世羅 博昭
井上ひさし 作・栗山民也 演出、こまつ座の『國語元年』は、全国の方言が話題です。それにちなんで、4月27日(土)のサークル代表者会で、講演会を催しました。 講師の世羅先生は、広島県白木町(現広島市)の出身です。広島で高校教員をされてから、長崎大学に転身。その後、当地・鳴門教育大学に赴任されました。専門は、国語科教育です。 一方、“方言”に魅せられ、徳島大学の仙波光明教授と共に『あわのおもしろ方言集』(松林社・2001)という“方言辞典”の監修もされています。 十分に準備された資料と深い造詣に基づく、たいへんおもしろい話でした。1時間がとても短く感じました。 |
さて、阿波弁を強烈に意識したのは、4年前に入院した時だとか。手術後、看護婦さんから「世羅サン、イケルデー?」とたずねられ、「(まだ)トイレには行けません。」と答えてしまった!とのこと。 新しい土地に移り住むと、その地の方言によるこのような思い違いも珍しくない。県外出身者の私には、大いに共感できる話でした。 次は『カボチャ』の方言です。県内だけでも『カボチャ』のほか『ナンキン』『ボーフラ』『ボーブラ』『ユーゴ』という言い方があるそうです。こうして、方言の調査・研究は、その分布にとどまらす、「なぜその地域でその言葉なのか?」という疑問に進みます。 |
たとえば、カボチャの場合、香川・愛媛県と行き来があった池田町や脇町では、香川・愛媛の言葉『ナンキン』の影響があるとか。また、大阪と行き来があった宍喰町では、大阪の言葉『ナンキン』の影響があるそうです。 このように方言研究は、歴史的なことも含め、“人の動き(行き来)”に深く関わっていき、非常におもしろい!・・・と生き生きと語る先生。話題は、全国的・専門的なことにも及びます。 「言葉は、その時代の政治の中心から同心円状に広がった」という柳田国男の『方言周圏論』 長崎県島原半島西南部にある南串山町の一部には、小豆島とそっくりの方言が現在も残っている『言語島』 これは、島原の乱後の幕府政策による「移住」に起因しているという事実。 また、「“方言”研究からは、少し脱線するが・・・・」 と前置きされて、話された「言葉の獲得は、感情の獲得であり、人間の豊かさにも関連する。」は、たいへん印象に残りました。 会場からの質問にも、ていねいに答えてくださいました。『ユーゴ』の呼び名は、ユウガオの茎にカボチャを接いで作ったからではないか?という会場からの科学的な答(?)もありました。 楽しく、そして興味をそそられる密度の濃い講演でした。 締めくくりは「方言を大切にしましょう!」とにこやかに呼びかけてくださいました。「私たちも、そんな気持ちで『國語元年』の登場人物たちや方言を興味深く、愛情をもって見たいものだ」と例会への期待がいっそうふくらみました。 |
『阿波のまほろば散策』!2002年3月24日
トコトコ トコトコ トコトコ
★大麻椿園⇒★賀川豊彦記念館⇒★ドイツ村公園⇒★ドイツ兵の墓
椿の花咲く季節、(2002年3月24日)鳴門市大麻町にある椿の名所「大麻椿園」
やオープンしたばかりの『賀川豊彦記念館』見学を兼ねて、参加者を募って『阿
波のまほろば』を散策しました。
訪ねた場所をご紹介!
☆「大麻椿園」
大麻比古神社の手前に、Kさんが丹精こめて作った広い庭があります。
そこでは、いろいろな椿が所狭しと咲き誇っていました。椿だけではなく、コブシ・
モクレン・水仙・クリスマスローズなど満開の花々が、訪ねた私たちの目を楽し
ませてくれました。(工夫を凝らした庭もぜひ見てね!)
☆賀川豊彦記念館
賀川豊彦は、明治から昭和にかけて、社会福祉事業の開拓者として、
協同組合運動・平和運動・精神復興運動に携わり、ボランティア活動の
先駆者として、幅広い著作活動を行なった『20世紀が生んだ世界の偉
人』といわれます。
彼の生涯を,わかりやすく展示した賀川豊彦記念館を見学しました。
またここでは、地域のボランティアのみなさん(市民劇場の会員さんです)
のお接待を受けました。昼食をとり、「阿波のまほろば」の歌と踊りをご披
露いただきました。
まちぐるみで地域を愛するみなさんの心意気と、迎える人たちへの暖かい
心づかいを感じました。(歌も踊りも、地域の人たちの創作です!)
☆ドイツ村公園・ドイツ兵の墓
ここ大麻町板東では、第一次世界大戦後に、ドイツ兵俘虜たちとの暖かい
交流がありました。
かれらが、ドイツ文化を地元に伝え、地域の人たちが醸成したといわれて
います。そのなかに、『演劇』・『第九演奏会』・『パンづくり』などがあります。
最後に、無念にもこの地でなくなられたドイツの方を納めた墓で、参加者
全員でご冥福を祈り、解散しました。
★ (感想)
地元の実行委員会のみなさんの地域を愛する心、積極的な行動力に、
勇気をいただきました。
『阿波のまほろば』といえる広々とした、穏やかな地で一日を過し、きれ
いな景色を見ながらおいしい空気も吸って、心豊かな気分になれました。
みなさんも一度行ってみませんか?(渦だけじゃない…鳴門のもう一つの観光地)
E-mailでのお問い合わせは 鳴門市民劇場ホームページ nrt-geki@mc.pikara.ne.jp まで。